CMにみる現代的価値観の抽出

「広告は時代を映す鏡」であると言われている。

作家の開高健は「CMにはそのときどきの神経のそよぎが現れる」と言ったそうだが、今がどのような時代であるか、あるいは多くの人が潜在的にどのような価値観を持っているのかを感じ取り表現するのにCMは非常に敏感であり、時代を巧みに切り取っていると思う。なので、私は、CMを引用して、社会を語ろうとするのだが、それはとても効果的な方法であると思っている。なぜならばCMは時代をリードするために作られるというよりは、時代に寄り沿うように作られるからである。

分かり易く説明すると、まずCMの必然性として、まずは広告対象となる商品が存在する。その商品は、企業がマーケティングリサーチし、顧客のニーズに応えるべく開発される。どのような顧客層がおり、年齢や立場、男性かあるいは女性か、独身かあるいは既婚者、家族かというセグメントに基づいて売れる商品を作る事に注力されている。こうした商品の持つメッセージを、分かり易く、ダイレクトに伝えるためにCMは機能している。つまりCMには必然的に、その時代の人々の雰囲気や価値観というものが反映される。開高健はそれを「神経のそよぎ」と表現したと私は思う。

今回は、CMを紹介しながら、コンサマトリーする現代の価値観に言及してみたいと思う。

 

家族と幸福

前にも引用したへーベルハウスのCMをまた見てみたい。

歌詞の「願い事は…うーん、特に無くて、これって幸せ」という部分に注目したい。このCMでは、願い事がない=幸せな家族、という図式が成立しており、そこに共感がある。しかし、実社会では、あるいは世界では貧困、戦争、人社差別等のあらゆる問題が山積しており、不平等な社会が存在している。なぜ願い事がないのか…それは、そうした問題に対して我々の視界が届いていないからである。つまり社会とか、世界という視点は存在しておらず、自分と家族や親しい人の幸せな生活が幸福に直結しているため、願い事が無い事に幸せを感じられるのである。皮肉なことにCMでは天体望遠鏡で見ているのは宇宙である。しかしながら、宇宙を見ていても、なぜか世界という視野がぽっかりと抜け落ち、家族の幸せという視点で留まってしまっているのである。

こうした、視野の狭さ、あるいは「今ここにある幸せ」に対する、いわゆるコンサマトリーな価値観が、今の時代の空気なのではないかと思う。

こうした傾向は、他のCMにも時代を映す空気感として、描かれているように感じる。

続いてJTBのCMを引用しよう。

昔と違い、最近のCMでは家族の描かれ方が変化してきたように感じられる。その理由は単純で家族の形態が変化してきたからである。それは家族構成ではなく、家族におけるメンバーのポジショニングの変化である。今までは、両親、特に父親は尊敬すべきあるいは、怖い存在であったが、最近の家族においては、家族のヒエラルキーが崩れ、フラット化している。言い換えると家族の友達化と言い換えることもできる。

Soft Bankでも同じように過去と異なる家族におけるポジショニングが表現されている。

Soft BankのCMでは、お父さんが犬として描かれているが、これにより、ヒエラルキーの消失した、家族のフラット化の表現が行われている。(昔であれば、尊敬されてきた父親を犬畜生として登場させるとは何事だ!という事にもなっただろう) またお父さんの、義理の父になろうかという者の存在が、若い男性として設定されているのも、父親の立場の上下逆転を促進するのに一役買っている。家族でSoft Bankに契約すると得であるということをメッセージとして伝えるCMなのであるが、家族のコミュニティ化が(ヒエラルキーの無い、友達的なコミュニティ)時代の空気としてあると感じられる。

白戸家の家族構成は、犬(父)、黒人(兄)という、普通ではありえない組み合わせなのであるが、コミュニティあるいは友達の集まりであれば、そうしたグループは存在可能である。ここにも、家族の友達化の一端を感じることが出来る。電話の利用シーンを考えると、家族と話すよりも、友人と電話で話す方が、回数においても時間においても多いので、この家族の友達コミュニティ化、友達コミュ二ティとしての描き方は、電話利用の促進と、会社宣伝の目的においては成功していると言えるだろう。

DocomoのCMにおいても、このことは同じ形態で表現されている。

CMで表現しようという内容はSoft BankもDocomoも共通している。しかも家族を描く方法や、設定までも酷似している。当CMでは学生割引についての内容だが、目上の年配者が、若者をチヤホヤするところに、あるいは「学生様」と呼ぶところにヒエラルキー無き、家族のフラット化を感じる。

理想の父親ランキングが毎年発表されるが、毎年、若者が選ぶ理想の父親として、つるの剛士や、関根勉が上位にランキングしている。理由はやはり、気さくさや友達的な目線であると考えられる。CMも含めて、こうした部分にも、家族の友達化を感じざるを得ない。

さて、このように現代の家族の形態に注目してみたが、やはり過去と比べて、明らかに家族が変わってきていることが分かる。特に変化したのは父親像である。昔は父親は黙して語らず、怖い存在であった。しかし80年代頃から、父親は仕事にかまけて家にほとんどおらず、パンツが箸でつまんで洗濯機に入れられるような距離のある疎まれる存在になっていた。そうした時期を経て、今や、父親は、家族において、他のファミリーメンバーとフラットで、同等の立場になることで居場所を家庭に見つけたかのように思う。これは家族のお友達化を促進させ、家族があたかも友人同士のコミュニティでもあるかのように存在している事の現れであると考えている。

 

コンサマトリー化する社会

コンサマトリーな価値観は、今、ここでの幸せで我々が満足感を得られるような雰囲気を醸成することに一役買っている。若者のコンサマトリー化については社会学者も言及しているが、特に近年は、自分の身近な人、友人や友人化した家族との、今の幸せで満足し、将来というよりは、現在中心の志向で物事を考えるようになっている。そうした価値観の中では、身近な人との幸福や満足感が追及され、それが拡張することに関心が広がってゆかないという傾向も生み出している。

ファンキーモンキーベイビーズの曲に「HERO」というのがある。先ほど家族のフラット化について言及したのを踏まえて、この曲と歌詞を引用してみたい。

最寄りの駅の改札ぬければ いつもよりちょっと勇敢なお父さん Daddy!
その背中に愛する人のWowWow声がする
You gatta run for today いざ行かんゴールへ


昨晩の疲れとアルコールがまだ残った午前6時OH!
暗いニュース野菜ジュースで流し込み朝から全力疾走
きっと今日も七転八倒でもならすな10カウント
家族にとってのヒーローになる為転んでも立ち上がるんだぜ


株はまた急落のしかかる重圧
満員電車のバンザイはギブアップじゃない冤罪対策
ネオン街の誘惑すり抜けて週末
家で待つ愛しいファミリーその笑顔がある限り


最寄りの駅の改札ぬければ いつもよりちょっと勇敢なお父さん Hero!
人ごみにも紛れないサンシャインデイ
振り返ると夢の足跡その延長線のアスファルトさDaddy!
その背中に愛する人のWowWow声がする
You gatta run for today いざ行かんゴールへ


毎日おんなじ時間に起きてはテレビのニュースを見るお父さん
はたから見たって一見そんなに冴えない普通のサラリーマン
だっていつも家族の為人知れずに一人で戦ってる
照れくさくって言いづらいけど頑張っているのはわかってる


株はまた急落のしかかる重圧
So溜まったストレスをこらえて遊びに行きたい気持ち抑えて
ネオン街の誘惑すり抜けて週末
体にムチ打って家族サービスまた迎える月曜日


繰り返す毎日の中にも色んなことあるんだぜ父さんDo it!
人知れずに世の中へファインティングポーズ
男は涙をこらえながら大切な人を守るもんさ天晴れ!
その背中で愛を背負ってYeah yeah今日も行く


カカア天下のお茶の間第三のビールで乾杯しよう
明日の見えない日本の夜にそれでも陽は昇るんだ


最寄りの駅の改札ぬければ いつもよりちょっと勇敢なお父さん Hero!
人ごみにも紛れないサンシャインデイ
振り返ると夢の足跡その延長線のアスファルトさDaddy!
その背中に愛する人のWowWow声がする
You gatta run for today いざ行かんゴールへ
You gatta run for today いざ行かんゴールへ

ある評論家が言っていたが、昔は、尊敬する人といえば「織田信長」「坂本竜馬」といった歴史上の人物や、偉人のような人が挙げられていたが、なぜか最近の若者は、父親を挙げることが多いと言う。また就職面接でも、尊敬する人は?という定番質問があるが、そこでも父親を尊敬するという若者は多いらしい。確かに父親を尊敬する人として挙げる事には賛成である。しかし、私には、若者の示すその尊敬はちょっと違うニュアンスがあるように感じられてならない。

ファンキーモンキーベイビーズの曲「HERO」は、確かに父親をヒーローとしている歌であるが、その歌詞は父親に対する尊敬の念というようりは、応援歌である。先ほどの評論家は年配の男性であったが、彼は社会人経験もない息子に「家族にとってのヒーローになる為転んでも立ち上がるんだぜ」「繰り返す毎日の中にも色んなことあるんだぜ父さんDo it!」なんて、間違っても言って欲しくないと言っていた。確かにそういう観点から聞いてみると、歌い手の視点が、父親と一緒、あるいは仲間の立場から応援しているような視点にも感じられてしまう。「頑張れ、お父さん」という言葉も、確かに良い言葉なのであるが、若者から言われるのはどうかなと、ちょっと首をかしげるのである。

ファンキーモンキーベイビーズのこの歌詞は、自分とフラットな、あまり立場的な上下関係の差の無い友人を応援しているようなニュアンスがあるように感じられる。最近はそれが大多数の若者にとっての「HERO」になりつつあり、若者が尊敬すると言う人物像なのである。過酷な状況で働く父親は尊敬には値するが、ちょっと小ぶり過ぎないか…。しかも、多くの若者は、自分の父親たちが働いてきた労働条件下では働きたくない、仕事においても自分らしくありたいと切望しており、父親が家族のために従事してきたそのワーキングスタイルを暗黙のうちに否定さえしてしまっている。

こうしたCMにおける家族の様相をみると、現代の若者の視界が狭まっており、身近な所にいる人物を尊敬していると言っているだけなのではないかと考えさせられてしまう。父親を尊敬すると言う、若者のこうした価値観も、若者のコンサマトリーな状況と直結しているように私には思われてならない。そうした価値観のなかでは、家族までもが、一緒にいて居心地の良い友人の延長である。

こうした価値観の変化を把握する為にも、今後も、若者のコンサマトリーな現状についてリサーチを行い、そこから価値あるマーケットを創出するための鍵を見つけ出してゆきたい。

 

広告の重要性

私の父は、テレビはNHKしか見ない事をモットーとしている。例えば、父親と一緒に、民放のお笑い番組を見るなんて全く想像できない。そして父親というものはそのようなものだと思ってきた。

父親を否定するわけではなく、それでも私はCMのある民放を見なければ、分からないこともあると感じている。それは時代の空気感のようなものであり、それはCMや時代のアイコン的なタレントによって感じられる価値観やモノである。

今の時代にしかない価値感を感じ取ることは重要であるが、我々に問われているのは、それを感じ取ったならば、どのように表現するかであると思っている。CMはただ聞き流すだけでは、単に消費欲求を刺激されるだけの一方的で受身の時間である。そうではなく、そこから新しい社会的に我々が共有している価値観を抽出して、それを我々のビジネスにおけるサービスとして表現するところに意味があると考えているし、それを実現したいと願っている。

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